関関同立の序列はどう変わった?150年の歴史と偏差値ランキングの変遷
「関関同立」といえば、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の4大学を指す、関西を代表する難関私立大学群です。
しかし、この4大学の序列は、昔から同じだったわけではありません。
今から40年以上前の1980年代、関関同立は同志社大学と関西学院大学の「2強時代」だったといわれています。
当時の偏差値資料では、同志社大学と関西学院大学がほぼ同水準で並び、関西大学と立命館大学がそれに続くという、明確な二層構造が見られました。
ところが1990年代に入ると、立命館大学が積極的な大学改革を進め、従来の序列に変化が生まれます。
そして2020年代。同志社大学は主要な文系学部で高い入試難易度を維持していますが、関西大学、関西学院大学、立命館大学の3大学は、学部や入試方式によって難易度が入れ替わる状況になっています。
なぜ関関同立の序列は変わったのでしょうか。
今回は、明治時代の各大学の創立から、関関同立という名称の誕生、1980年代の偏差値ランキング、1990年代以降の大学改革、そして2026年現在の立ち位置まで、約150年の歴史を振り返ります。
1.関関同立の歴史は明治時代から始まった
現在では一つの大学グループとして扱われる関関同立ですが、4大学の起源はそれぞれ異なります。
まずは創立年と、その歴史を見ていきましょう。
| 大学 | 創立年 | 前身・創立者 | 主な特色 |
|---|---|---|---|
| 同志社大学 | 1875年 | 新島襄・同志社英学校 | キリスト教主義、良心教育、国際性 |
| 関西大学 | 1886年 | 関西法律学校 | 法律教育、実学、社会との連携 |
| 関西学院大学 | 1889年 | W・R・ランバス・関西学院 | キリスト教主義、全人教育 |
| 立命館大学 | 1900年 | 中川小十郎・私立京都法政学校 | 自由主義、国際主義、法政教育 |
※立命館の名称の源流は1869年に西園寺公望が開いた私塾「立命館」にさかのぼります。
同志社大学:新島襄が京都に開いた英学校が起源
1875年、新島襄が京都で同志社英学校を開設しました。
新島はアメリカで教育を受けた経験を持ち、キリスト教精神に基づく教育を日本に根づかせようとしました。
同志社の特徴は、単に専門知識を教えるだけでなく、良心に基づいて自ら判断し、行動する人材の育成を重視してきたことです。
1920年には大学令による大学として認可され、文学部と法学部を中心に発展しました。
京都御所に近い今出川キャンパスは、歴史ある建築物が残る同志社の象徴的な存在です。
関西大学:大阪の法律学校から始まった実学の大学
1886年、現在の関西大学の前身となる関西法律学校が大阪で誕生しました。
明治時代、日本では近代国家の形成に伴い、法律を理解し、社会で活用できる人材の育成が求められていました。
関西法律学校は、こうした時代の要請を背景に設立されました。
1922年には旧制大学へ昇格し、千里山にキャンパスを開設します。
この時期に掲げられた「学の実化」という理念は、学問と社会の実践を結びつける関西大学の教育姿勢を表しています。
大阪の都市社会とともに発展してきた点は、関西大学の大きな特徴といえるでしょう。
関西学院大学:神戸から西宮へ発展したミッション系の名門
1889年、アメリカ人宣教師ウォルター・ラッセル・ランバスによって関西学院が神戸で創立されました。
キリスト教に基づく人格教育を重視し、1912年には後に学院の理念を象徴する言葉となる「Mastery for Service(奉仕のための練達)」が提唱されました。
1929年には現在の西宮上ケ原キャンパスへ移転。
美しい時計台やスパニッシュ・ミッション様式の校舎群は、関西学院の象徴となっています。
1932年には旧制大学として認可され、戦後には文学部、法学部、経済学部などを備える総合大学へと発展しました。
関西学院大学は、伝統的な国際性やキャンパス文化を特徴とする大学です。
立命館大学:京都法政学校から総合大学へ
立命館大学の前身は、1900年に中川小十郎が創立した私立京都法政学校です。
ただし、その名称の源流はさらに古く、1869年に西園寺公望が京都に開いた私塾「立命館」にあります。
立命館は法政教育から出発し、戦後には総合大学として教育研究領域を拡大しました。
特に1980年代後半からは、国際関係学部の設置、理工系分野の拡充、新キャンパスの開設など、積極的な改革を進めています。
この改革の歴史が、後に関関同立の序列変化を考えるうえで重要なポイントになります。
2.「関関同立」という呼び名はいつ誕生したのか?

そもそも、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の4大学が「関関同立」と呼ばれるようになったのはいつからなのでしょうか。
意外にも、その歴史は大学の創立時代までさかのぼるわけではありません。
関関同立という名称は1971年頃に誕生
関関同立という呼称の考案者とされているのは、大阪の夕陽丘予備校の初代校長、白山桂三氏です。
夕陽丘予備校の説明によると、1970~1971年頃、白山氏が大阪新聞の記者に受験情報について助言する中で、関西の難関私立4大学をまとめて呼ぶ名称として「関関同立」を考案したとされています。
そして1971年10月14日の大阪新聞で初めて使用され、その後、受験情報誌や予備校などを通じて広まったとされています。
1970年代半ば頃には、受験生の間でも認知されるようになりました。
関関同立はもともと大学の公式な序列ではなかった
ここで重要なのは、関関同立が大学によって定められた公式な格付けではないという点です。
受験生が志望校を考える際、難易度や人気が近い大学をまとめて認識するために生まれた名称でした。
つまり、関関同立というグループの誕生自体が、関西の私立大学間の競争が進んでいたことを示しているとも考えられます。
では、その名称が一般化した1980年代、実際の偏差値序列はどうなっていたのでしょうか。
関関同立だけじゃない!かつて存在した「難関15私大」とは?
現在では「MARCH」「関関同立」「日東駒専」などの大学群が広く知られていますが、かつては「難関15私大」と呼ばれる大学グループも存在しました。
この名称には関関同立の4大学も含まれており、当時の私立大学がどのように評価されていたのかを知る手がかりになります。
なぜ「難関15私大」という名称が生まれ、現在ではほとんど使われなくなったのでしょうか。
大学群の歴史や序列の変化に興味がある方は、こちらの記事もぜひご覧ください。
関連記事:「難関15私大」はどうなった?誕生から消滅までの歴史
3.1980年代の関関同立は「同志社・関学の2強時代」
40年以上前、関関同立の序列は現在とは異なる構造を持っていました。
1982年の主要学部の平均偏差値を整理した参考資料では、同志社大学と関西学院大学が上位に並び、関西大学と立命館大学がそれを追う形になっています。
1982年の関関同立偏差値ランキング
| 順位 | 大学 | 主要5学部平均偏差値・参考値 |
|---|---|---|
| 1位 | 同志社大学 | 64.4 |
| 2位 | 関西学院大学 | 64.0 |
| 3位 | 関西大学 | 56.5 |
| 4位 | 立命館大学 | 55.0 |
※長期比較資料による参考集計。対象学部・集計方法の原典照合が完了していないため、確定的な公式ランキングではありません。
この数値で注目すべきなのは、同志社と関西学院の差が約0.4ポイントしかない一方、関西学院と関西大学には約7.5ポイントもの開きがあることです。
つまり、この集計では明確に二つのグループに分かれていました。
同志社 ≧ 関西学院 ≫ 関西大学 > 立命館大学
これが1980年代前半の入試難易度を説明する際の、一つの代表的な構図です。
関西学院大学は同志社大学に匹敵する存在だった
現在の受験生には、同志社大学が関関同立の中でも高い入試難易度を持つというイメージがあるかもしれません。
しかし、1980年代前半の資料では、関西学院大学もほぼ同水準に位置しています。
特に文系の伝統学部では、関西学院は同志社と並ぶ難関私立大学として受験生から認識されていました。
関西学院大学の西宮上ケ原キャンパス、ミッション系大学としての伝統、国際性を重視する教育なども、大学の特色となっていました。
ただし、当時のブランド評価と偏差値の数字は別の指標です。「西の慶應」などの呼び方が使われることはあっても、それだけで大学全体の客観的な序列が証明されるわけではありません。
関西大学と立命館大学は追う立場
1982年の参考集計では、関西大学が56.5、立命館大学が55.0となっています。
同志社・関学とは約8~9ポイントの開きがありました。
現在では4大学を同じ難関私立大学群として一括りにすることが一般的ですが、当時の数値を見ると、グループ内の難易度差は決して小さくなかったことが分かります。
そして、この構造が大きく動き始めるのが1990年代です。
4.1990年代、関関同立の序列に大きな変化が起きる
1990年代は、日本の大学受験にとって大きな転換期でした。
1992年度には18歳人口が約205万人に達し、その後は少子化によって減少していきます。
受験生の人口規模が大きかったこの時代、関関同立をはじめとする人気私立大学への進学は、多くの受験生にとって大きな目標でした。
その中で存在感を高めたのが立命館大学です。
1997年の関関同立偏差値ランキング
| 順位 | 大学 | 主要学部平均偏差値・参考値 |
|---|---|---|
| 1位 | 同志社大学 | 66.2 |
| 2位 | 立命館大学 | 64.2 |
| 3位 | 関西学院大学 | 64.0 |
| 4位 | 関西大学 | 61.8 |
※長期比較資料による暫定集計。1982年との比較には、対象学部や模試基準の一致を確認する必要があります。
この参考値では、1982年に4位だった立命館大学が、1997年には関西学院大学をわずかに上回っています。
数値差は0.2ポイントと小さいものの、かつて上位2大学との間に大きな差があった立命館が、関学と競う位置に接近したという点は注目に値します。
ただし、これは全学部・全入試方式の順位が完全に逆転したことを意味するものではありません。
立命館大学が進めた積極的な大学改革
立命館大学は1980年代後半から、従来の学部構成を大きく変える改革を進めました。
主な動きは以下の通りです。
- 1988年:国際関係学部を設置
- 1994年:びわこ・くさつキャンパス(BKC)を開設
- 1994年:政策科学部を設置
- 1998年:経済学部・経営学部をBKCへ移転
特に国際関係学部の設置は、立命館大学の国際系教育を象徴する出来事でした。
立命館大学の公式資料によれば、国際関係学部の設置初年度には、入学定員に対して40倍を超える出願があったとされています。
また、びわこ・くさつキャンパスでは理工系分野の教育研究環境を拡充し、大学全体の規模と教育領域を広げていきました。
こうした改革は、立命館大学の知名度や学部選択の幅を拡大する重要な取り組みだったといえます。
ただし、偏差値の上昇をすべてキャンパス開設や学部新設だけで説明することはできません。入試方式や受験生人口、他大学の動向なども影響します。
関西学院大学にも転換期が訪れる
一方、関西学院大学でも大きな変化がありました。
1995年には阪神・淡路大震災が発生し、同年4月には神戸三田キャンパスが開設されました。
神戸三田キャンパスは、総合政策学部の設置とともに誕生し、後に理工系分野の拠点として発展しました。
郊外に新しいキャンパスを設けることは、広い教育研究施設を確保できる一方、通学アクセスという面で受験生の大学選びに影響する可能性があります。
もっとも、関西学院大学の入試難易度の変化が震災やキャンパスの立地によって直接生じたと証明されているわけではありません。
この時代は、立命館大学の拡大と関西学院大学の新たな展開が、同時に進んだ時期として理解するのが適切でしょう。
5.2000〜2010年代、同志社の安定と各大学のキャンパス改革
2000年代以降、関関同立の4大学はそれぞれ異なる戦略で大学改革を進めました。
特に注目したいのは、新学部の設置とキャンパスの再編です。
2014年の主要学部平均偏差値
| 順位 | 大学 | 主要学部平均偏差値・参考値 |
|---|---|---|
| 1位 | 同志社大学 | 66.8 |
| 2位 | 立命館大学 | 60.8 |
| 3位 | 関西学院大学 | 60.4 |
| 4位 | 関西大学 | 60.2 |
※提供された比較資料による暫定集計。原資料の模試・学部条件は未照合。
この数値では、同志社大学が2位以下を6ポイント前後上回っています。
一方、立命館大学、関西学院大学、関西大学の3大学の差は0.6ポイント以内に収まっています。
1982年の「同志社・関学の2強」という構図とは、明らかに異なる姿です。
ただし、平均偏差値は対象となる学部によって変わるため、大学全体の教育水準や社会的評価を直接示すものではありません。
同志社大学:今出川キャンパスへの文系学部集約
同志社大学は2013年、京田辺キャンパスで学んでいた一部の文系学部の教育拠点を今出川校地へ移しました。
これによって、文系学部の学生が京都市中心部の今出川校地を中心に学べる体制が整いました。
都心に位置するキャンパスは、通学の利便性や学生生活、周辺の文化環境などの面で特徴があります。
同志社大学が文系主要学部で高い難易度を維持してきた背景を考える際には、伝統や学部構成に加え、こうしたキャンパス政策も検討材料となります。
関西学院大学:総合大学としての教育領域を拡大
関西学院大学では、神戸三田キャンパスの拡充に続き、2009年に学校法人聖和大学との合併が行われ、教育学部が設置されました。
さらに2010年には国際学部を開設。
2021年には従来の理工学部を理学部、工学部、生命環境学部、建築学部へと再編しています。
このように関西学院大学は、教育系・国際系・理工系の教育分野を拡充してきました。
一方で、入学者の選抜方式も多様化しています。
推薦入試や総合型選抜などの割合を議論する際には、実際の入学者数と制度上の募集人員を分け、大学が公表する年度別資料に基づいて比較する必要があります。
推薦入学者の割合だけで大学全体の学力や教育の質を判断することはできません。
関西大学:新学部の設置と教育分野の拡大
関西大学も2000年代以降、新しい教育分野への展開を進めました。
従来の法学部、文学部、経済学部、商学部などに加え、政策創造学部、外国語学部、人間健康学部、社会安全学部などを設置しています。
2010年には高槻ミューズキャンパスを開設し、社会安全学部の教育拠点となりました。
大阪を基盤とした総合大学としての伝統を維持しながら、新しい学問領域にも対応してきたことが特徴です。
立命館大学:大阪いばらきキャンパスの開設
立命館大学は2015年、大阪府茨木市に大阪いばらきキャンパス(OIC)を開設しました。
それまで滋賀県のびわこ・くさつキャンパスにあった経営学部などが移転し、京都・滋賀・大阪に教育拠点を持つ大学として発展していきました。
大阪いばらきキャンパスの開設は、関西の広い地域から学生を集めるうえで注目される施策です。
ただし、2015年の開設を2014年以前の偏差値変化の直接的な原因とすることはできません。
このように、2000〜2010年代は4大学がそれぞれの強みを生かしながら、大学改革を進めた時代だったのです。
6.2020年代の関関同立の序列はどうなった?

では、2026年現在の関関同立は、どのような序列になっているのでしょうか。
まず押さえておきたいのは、現在の関関同立を大学名だけで一列に並べることが難しくなっているという点です。
河合塾などの入試難易度資料を見ると、同じ大学でも学部・学科・入試方式によって偏差値が大きく異なります。
2020年代の関関同立:偏差値の分布と特徴
| 大学 | 2020年代の入試難易度の特徴 |
|---|---|
| 同志社大学 | 法・経済・商・文など主要文系学部が比較的高い難易度帯に分布 |
| 関西学院大学 | 国際学部などが高難易度。一方、学部・方式による差も大きい |
| 関西大学 | 法・外国語・経済などで他の関関同立と競合する難易度帯を形成 |
| 立命館大学 | 国際関係などの難関学部に加え、理工系・情報系など幅広い学部を展開 |
※2026年度入試難易度資料の傾向を整理したもの。偏差値は方式別に異なるため、大学ごとの単純な最高値・最低値を序列として扱っていません。
同志社大学が主要文系学部で高い位置を維持
現在の関関同立でも、同志社大学は主要文系学部の入試難易度で優位に立つケースが多く見られます。
法学部、経済学部、商学部、文学部など、長い歴史を持つ学部の存在も特徴です。
1980年代に関西学院大学とほぼ並んでいたとされる同志社大学は、その後も関関同立の中で高い入試難易度を示してきました。
ただし、すべての学部・方式で同志社大学が最難関というわけではありません。
国際系では関学と立命館も難関
関西学院大学の国際学部、立命館大学の国際関係学部などは、関関同立の中でも入試難易度が高い学部として知られています。
こうした学部では、同じ大学の他学部との差が大きくなることもあります。
そのため、大学全体の平均偏差値だけでは、個々の学部の難しさを正確に判断できません。
関西大学・立命館大学・関西学院大学の順位は学部によって変わる
1982年の参考値では、関西大学と立命館大学は同志社・関学から大きく離れていました。
しかし現在は、関西大学、立命館大学、関西学院大学の各学部が重なる難易度帯に分布しています。
法学系、経済・経営系、外国語・国際系、理工系など、学部系統をそろえて比較しなければ、実際の入試難易度の違いは見えてきません。
これが、現代の関関同立の序列を考えるうえで最も重要な変化といえるでしょう。
7.関関同立の序列は40年間でどう変わった?
ここまでの変化を時系列で整理すると、次のようになります。
関関同立の偏差値・序列の変遷
| 年代 | 提供資料に基づく参考序列 | 主な特徴 |
|---|---|---|
| 1980年代前半 | 同志社 ≧ 関学 ≫ 関大 > 立命館 | 同志社・関学の2強構造 |
| 1990年代後半 | 同志社 > 立命館 ≒ 関学 > 関大 | 立命館が急接近 |
| 2000〜2010年代 | 同志社 > 立命館 ≒ 関学 ≒ 関大 | 同志社と他3大学の差が目立つ集計も |
| 2020年代 | 同志社が主要文系で優位。2位以下は学部・方式別に変動 | 大学全体の一律序列が難しい |
※過去3時点の参考序列は提供資料による集計結果であり、原資料の同一条件での比較を保証するものではありません。2020年代については、学部別データの特徴を示しています。
変化① 同志社・関学の2強構造が変化
1980年代の参考データでは、同志社と関学の間にほとんど差がありませんでした。
しかし、1990年代以降は立命館が関学に接近し、2000年代以降は同志社と他3大学との間に差が見られる集計も登場しました。
変化② 立命館大学の存在感が高まった
1980年代前半の参考値で4位だった立命館大学が、1990年代後半には関西学院大学と同等の難易度帯に接近しました。
国際関係学部の設置、理工系の拡充、キャンパス展開などの大学改革と合わせて見ると、立命館大学は40年間の変化を象徴する存在といえるでしょう。
変化③ 関西大学も他大学との差を縮めた
1982年の参考値では、関西大学は上位2大学との差が大きい位置にありました。
一方、2014年の参考集計では、関学・立命館との差が小さくなっています。
大学全体の序列を考えるうえで、関西大学を単純に最下位に固定する見方も適切ではなくなっています。
変化④ 「大学単位」から「学部・入試方式単位」の比較へ
現在の受験では、大学名だけでなく、学部・学科・入試方式まで含めて難易度を比較することが重要です。
一般選抜の方式によって科目数や配点が違うこともあり、偏差値の数字だけでは入学の難しさを完全に比較できません。
偏差値ランキングは大学選びの一つの材料ですが、それだけで教育研究の質や就職実績まで判断することはできないのです。
8.なぜ関関同立の序列は変化したのか?考えられる4つの背景
40年間の序列の変化は、単一の出来事で説明できるものではありません。
少なくとも、次の4つの視点から考える必要があります。
① 大学改革・新学部の設置
立命館の国際関係学部、関学の国際学部、関大の外国語学部など、各大学は時代に合わせて新しい教育分野を開拓してきました。
新学部の設置は、従来とは異なる志望層を集めるきっかけになります。
ただし、学部新設と偏差値の変動にどの程度因果関係があるかは、志願者数などと合わせて検討する必要があります。
② キャンパス戦略の違い
都市部に集約するか、郊外に新しい教育拠点を設けるか。
キャンパスの所在地は通学、学習環境、学生生活に関わります。
同志社の今出川校地への文系学部集約、立命館の大阪いばらきキャンパス開設、関学の神戸三田キャンパス拡充などは、それぞれの大学戦略を象徴する動きです。
③ 18歳人口の減少と入試環境の変化
1992年度に約205万人だった18歳人口は、その後減少しました。
受験生人口の減少や大学進学率の上昇により、大学入試を取り巻く環境も大きく変わっています。
また、模試の受験者層も時代によって変わるため、1982年の偏差値60と2026年の偏差値60を、まったく同じ難しさとして扱うことはできません。
ダイヤモンド・オンラインがベネッセコーポレーションの協力でまとめた過去40年間の偏差値特集でも、偏差値の比較には受験者集団の変化を考慮する必要があると説明されています。
④ 一般選抜以外の入学者選抜の拡大
現在の大学入試は、一般選抜だけではありません。
学校推薦型選抜や総合型選抜など、さまざまな選抜方法が用いられています。
一般選抜の偏差値は、基本的にその選抜方式における難易度を示す指標です。
大学全体の入学者の学力や教育の質を直接示すものではありません。
関関同立を比較する際も、各大学の一般選抜入学者の割合、募集人員、入試方式の違いを確認したうえで判断することが重要です。
9.親世代と現役受験生で関関同立の印象は違う?
関関同立の序列の歴史を考えると、特に興味深いのが世代間の認識の違いです。
1980年代に受験した世代にとっては、同志社大学と関西学院大学の2大学が突出した難関校だったという印象が強いかもしれません。
一方、1990年代後半から2000年代に受験した世代では、立命館大学が関学に接近してきたという印象を持つ人もいるでしょう。
現在の受験生は、特定の学部や入試方式を比較する機会が多く、単純な大学名の序列だけでは志望校を決めにくくなっています。
ダイヤモンド・オンラインでも、関西学院大学と関西大学などを例に、大学の難易度に対する親世代と子世代の認識の違いが取り上げられています。
しかし、大学の入試難易度が変化しても、創立以来培ってきた学風や教育理念がなくなるわけではありません。
同志社の良心教育、関学の全人教育、関大の実学、立命館の自由と国際性。
それぞれの特色を踏まえた大学選びが大切です。
10.まとめ:関関同立の序列は固定されたものではない
関関同立の約150年の歴史を振り返ると、現在の大学グループが最初から存在していたわけではないことが分かります。
4大学は明治時代にそれぞれ異なる理念で誕生し、戦前・戦後の大学教育の発展を経て、関西を代表する総合大学へと成長しました。
そして1970年代に「関関同立」という名称が広まり、4大学は受験生から一つのグループとして比較されるようになりました。
1980年代前半の参考データでは、同志社・関学の2強構造が見られました。
1990年代には立命館大学が存在感を高め、2000年代以降は各大学が新学部やキャンパス戦略を通じて改革を進めています。
現在も同志社大学は主要文系学部の入試難易度で高い位置にありますが、関西大学・関西学院大学・立命館大学の難易度は学部や方式によって異なります。
関関同立の歴史が示しているのは、大学の序列は決して永久不変ではないということです。
昔は難関とされていた大学が現在も同じ相対的位置にあるとは限らず、逆に、かつて上位校との差が大きかった大学が改革を通じて存在感を高めることもあります。
受験生にとって大切なのは、昔のイメージだけで志望校を判断しないこと。
そして保護者世代にとっても、自分たちが受験した時代の序列と、現在の入試難易度には違いがあることを知っておく必要があるでしょう。
皆さんが受験した頃、関関同立の序列はどのようなイメージだったでしょうか。
同志社と関学の2強時代だったのか、それとも立命館や関西大学がすでに上位校に迫っていた時代だったのか。
大学受験うわさ研究所では、これからも大学の歴史、入試難易度、就職実績など、さまざまな角度から大学の実力と変化を検証していきます。

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参考資料・出典
- 夕陽丘予備校「関関同立模試」
https://www.yuhigaoka.ac.jp/practice-exam/archive/kkdrmoshi - 同志社大学 文学部「概要・特色」
https://letters.doshisha.ac.jp/letters/english/overview.html - 関西大学「関西大学のあゆみ」
https://www.kansai-u.ac.jp/ja/about/outline/history.html - 関西学院大学「沿革」
https://www.kwansei.ac.jp/about/history.html - 立命館大学「年表で見る立命館」
https://www.ritsumei.ac.jp/profile/about/history/chronology/ - 立命館大学 国際関係学部「写真で見る30年 国際関係学部のあゆみ」
https://www.ritsumei.ac.jp/ir/30th/timeline/ - 関西学院大学「神戸三田キャンパス紹介」
https://www.kwansei.ac.jp/ksc/about/ - ダイヤモンド・オンライン(2023年1月12日)「【関関同立】偏差値60台だったのも『今は昔』で70台、大学偏差値40年間の歴史」
https://diamond.jp/articles/-/315645 - ダイヤモンド・オンライン(2023年8月25日)「関西学院vs関西大、甲南vs近畿大の優劣に『世代間ギャップ』あり!【関関同立・産近甲龍・摂神追桃】偏差値42年間の推移」
https://diamond.jp/articles/-/327488 - 旺文社 パスナビ(大学別・学部別の入試難易度情報)
https://passnavi.obunsha.co.jp/
※1982年・1997年・2014年の平均偏差値は、提供された長期比較資料を参考に掲載しています。元の模試データと平均算出方法は未照合のため、公式な確定値としては扱っていません。また、ベネッセ進研模試のB判定値と河合塾のボーダー偏差値は基準が異なります。

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