150年の歴史から見るMARCHの勢力図|明治・青学・立教・中央・法政はどのように名門大学になったのか?

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150年の歴史から見るMARCHの勢力図|明治・青学・立教・中央・法政はどのように名門大学になったのか?

現在、首都圏の難関私立大学群として知られる「MARCH(マーチ)」。

明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学の5大学を指す言葉ですが、皆さんは、この5大学がどのように誕生し、現在の地位を築いたのかご存じでしょうか。

「昔は中央大学の法学部が強かった」

「立教大学は昔から難関だった」

「明治大学はいつから現在のような人気大学になったのか」

受験経験のある人なら、一度はこんな話を聞いたことがあるかもしれません。

しかし、MARCHの歴史を約150年前までさかのぼると、現在の大学群という枠組みからは想像できないほど、異なる出発点が見えてきます。

法律家を養成するために生まれた大学。キリスト教と英語教育を広めるために生まれた大学。社会の変化に合わせて学部やキャンパスを拡充してきた大学。

その歩みは、まさに日本の近代教育史そのものです。

今回は、明治時代から2026年までの歴史をたどりながら、MARCH5大学がどのように誕生し、発展し、独自の社会的評価を形成してきたのかを解説します。

なお、この記事でいう「勢力図」とは、偏差値だけで決める大学序列ではありません。法律界での伝統、教育の特色、社会的知名度、キャンパス立地、入試人気など、複数の観点から各大学の存在感を考察するものです。

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  1. 1. MARCHの誕生は明治時代ではなかった
  2. 2. 1874〜1885年:MARCH5大学はどのように誕生したのか?
    1. 青山学院大学:女子教育とキリスト教教育から始まった大学
    2. 立教大学:築地の小さな英学塾から始まった大学
    3. 法政大学:自由民権の時代に生まれた法律学校
    4. 明治大学:フランス法を学んだ若き法律家たちが創立
    5. 中央大学:イギリス法を教える学校からスタート
    6. 明治時代の勢力図:3つの法律学校と2つのキリスト教系学校
  3. 3. 1920年代:旧制大学としての地位を築いた時代
    1. この時代に形成された各大学の強み
  4. 4. 1945〜1960年代:戦後の学制改革が大学の勢力図を変える
    1. 大学進学が一部の人から、より多くの人へ広がった
  5. 5. 1960〜70年代:MARCHという言葉の誕生と大学進学ブーム
    1. 中央大学は法学部が大きな看板だった
    2. 立教大学は独自の伝統と池袋キャンパスを持っていた
    3. 明治・法政・青学もそれぞれ独自の発展を続けた
  6. 6. 1978〜1990年代:キャンパス移転がMARCHの姿を変えた
    1. 1978年:中央大学が多摩キャンパスへ移転
    2. 法政大学も多摩キャンパスを整備
    3. 青山学院大学も厚木キャンパスを活用
    4. キャンパスの場所は大学ブランドに影響するのか?
  7. 7. 1990年代:MARCHという大学群が広く定着していく
  8. 8. 2000年:偏差値で見るMARCHの勢力図
  9. 9. 2000〜2020年代:キャンパス再編と新しい大学ブランドの形成
    1. 青山学院大学:2013年に文系学部の4年間青山キャンパス化
    2. 中央大学:2023年、法学部が茗荷谷キャンパスへ移転
    3. 明治・立教・法政も教育の領域を広げ続けている
  10. 10. 150年の歴史でMARCHの勢力図はどう変わったのか?
    1. 歴史的な地位という観点
    2. 専門分野の伝統という観点
    3. 大学ブランドという観点
    4. 入試難易度という観点
  11. 11. MARCHは今後も同じ大学群として残るのか?
  12. 12. まとめ:MARCHの歴史は日本の大学教育の歴史でもある
  13. 出典・参考資料一覧
    1. 大学公式資料
    2. 社会情勢・大学群に関する資料
    3. 関連記事・内部リンク

1. MARCHの誕生は明治時代ではなかった

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まず、意外に感じる人もいるかもしれませんが、「MARCH」という大学群の名称は明治時代から存在したわけではありません。

現在では受験生や保護者に広く知られていますが、この5大学が一つのグループとして扱われるようになったのは、大学創立からかなり後のことです。

MARCHという呼称を考案した人物として知られるのが、受験情報誌『螢雪時代』の編集長を務めた代田恭之氏です。

朝日新聞系の大学情報サイト「Thinkキャンパス」によると、MARCHという呼称は1960年代に考案され、1990年代以降、高校や予備校などで広く使われるようになったとされています。

つまり、5大学には長い歴史がありますが、「MARCH」という大学群そのものの歴史は、それほど古くないのです。

ここが今回の記事の大きなポイントです。

MARCHとは、同じ歴史を持つ大学の集まりではなく、異なる歴史を歩んできた大学が、後から受験業界で一つのグループにまとめられたものなのです。

2. 1874〜1885年:MARCH5大学はどのように誕生したのか?

現在のMARCH5大学のルーツは、明治時代にさかのぼります。

まず、各大学の創立年と前身を整理してみましょう。

創立年大学前身・源流
1874年青山学院大学女子小学校などのキリスト教系学校
1874年立教大学立教学校
1880年法政大学東京法学社
1881年明治大学明治法律学校
1885年中央大学英吉利法律学校

※青山学院大学の1874年は母体となる学校の創立年です。大学としての発足は1949年。各大学とも、学校の創立年と大学として認可された年は区別する必要があります。

この表を見るだけでも、興味深い違いがあります。

青山学院・立教の2校と、法政・明治・中央の3校では、学校が誕生した背景が大きく異なるのです。

青山学院大学:女子教育とキリスト教教育から始まった大学

MARCHの歴史をさかのぼると、最も早い1874年にルーツを持つのが青山学院大学と立教大学です。

青山学院の歴史は、アメリカの宣教師ドーラ・E・スクーンメーカーが1874年に開いた女子小学校に始まります。

その後、1878年の耕教学舎、1879年の美會神学校という別の学校の流れも合流し、現在の青山学院へと発展していきました。

法律家や官僚を養成することが中心だった学校とは異なり、青山学院はキリスト教に基づく人格教育や語学教育を重視してきた学校です。

現在、青山学院大学というと、渋谷・青山という立地や国際的で洗練されたイメージを連想する人が多いかもしれません。

しかし、その根底には明治初期から続く宣教師による教育活動と、女子教育を含む幅広い学びの歴史が存在します。

立教大学:築地の小さな英学塾から始まった大学

立教大学も1874年に誕生しました。

アメリカ聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズが、東京・築地の外国人居留地に開いた立教学校がその始まりです。

当初は数人の生徒に聖書と英語を教える小さな学校でした。

その後、文学や商学などの教育を拡充し、1918年には現在の池袋キャンパスへ移転。1922年には大学令による大学として認可されました。

現在の立教大学を象徴する赤レンガの校舎や池袋キャンパスの景観は、この長い歴史を物語っています。

立教大学は、語学・人文科学・商学を重視する伝統を受け継ぎながら、戦後には経済、法学、社会学、理学などの領域も拡充していきました。

法政大学:自由民権の時代に生まれた法律学校

1880年に設立されたのが、法政大学の前身となる東京法学社です。

明治時代は、日本が近代国家として法律や政治制度を整備していた時代でした。

法政大学は、そうした社会の変革期に、在野の法律家たちによって創設されました。

1883年にはフランス人法学者ボアソナードが東京法学校の教頭に就任。1889年には東京仏学校と合併して和仏法律学校となります。

フランス法学の影響を受けながら発展したことは、法政大学の大きな歴史的特徴です。

現在の法政大学が掲げる自由を重んじる学風も、こうした創立期の精神と結びついています。

明治大学:フランス法を学んだ若き法律家たちが創立

明治大学の前身である明治法律学校は、1881年に開校しました。

創立者は岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操らです。

フランス法を学んだ若い法律家たちが、日本の近代化に必要な法学教育を広めようとしたことが学校設立の背景にあります。

1886年には神田駿河台へ移転。1903年には明治大学に改称しました。

さらに1904年には商学部などを設置し、法律教育だけではなく、商業・経済分野へも教育を広げていきます。

商学部は日本の私立大学で早い時期に誕生した商学教育組織として知られ、「明治の商科」という伝統を築いてきました。

明治大学は、法律学校を出発点としながら、早くから実学を幅広く学べる大学へと発展していったのです。

中央大学:イギリス法を教える学校からスタート

MARCH5大学の中で、創立年が最も新しいのが中央大学です。

その前身は1885年に設立された英吉利法律学校。

名称の「英吉利」はイギリスを意味します。

中央大学は、イギリス法学を重視した法律教育を出発点としており、フランス法の影響を強く受けた法政大学や明治大学とは異なる学問的な背景を持っていました。

その後、東京法学院、東京法学院大学と名称を変え、1905年に中央大学となります。

中央大学が後に「法科の中央」と呼ばれ、法曹界で強い存在感を持つようになった背景には、こうした創立以来の法律教育の伝統があります。

明治時代の勢力図:3つの法律学校と2つのキリスト教系学校

この時代のMARCHを一つのランキングにまとめることは適切ではありません。

そもそも学校の目的や教育制度が異なっていたからです。

ただし、明治時代の5大学を大きく分けると、次のようになります。

  • 法律教育を重視した大学:法政・明治・中央
  • 英語・キリスト教教育を源流とする大学:青山学院・立教

ここで形成された教育上の個性は、その後の大学発展にも影響を与えることになります。

3. 1920年代:旧制大学としての地位を築いた時代

MARCHの歴史を語るうえで欠かせないのが、1920年代です。

1918年に公布された大学令によって、私立学校にも旧制大学として認可される道が広がりました。

現在では5大学すべてが大学ですが、当時の「大学」という地位は、一定の制度的条件を満たした学校に認められるものでした。

ここで重要なのが、各大学が大学令に基づく旧制大学となった時期です。

大学大学令による旧制大学認可
法政大学1920年
明治大学1920年
中央大学1920年
立教大学1922年
青山学院大学該当なし(1949年に新制大学発足)

※青山学院にも大学開設以前から高等教育の歴史がありますが、学校制度上の旧制大学認可とは区別しています。

この表を見ると、法政・明治・中央は1920年、立教は1922年に旧制大学として認可されていたことがわかります。

一方、青山学院大学が新制大学として発足したのは1949年でした。

ここで注意したいのは、旧制大学として認可された時期が早いからといって、現在の偏差値や教育水準が上という意味ではないことです。

ただし、1920年代の制度変更は、それぞれの学校が高等教育機関として社会的な地位を形成していく重要な転換点でした。

この時代に形成された各大学の強み

中央大学は、法学部を中心に法律専門職を目指す学生を育成する伝統を発展させました。

明治大学は、法学に加えて商学・政治経済など実社会に結びつく教育を広げました。

法政大学も、法学部と経済学部を持つ大学として発展します。

立教大学は、文学部と商学部を擁する旧制大学として新たな段階に進みました。

青山学院は、大学という制度上の地位とは別に、キリスト教教育を柱として中等・高等教育を継続していました。

つまり、戦前のMARCHには、現在以上に学校ごとの制度的な違いがあったのです。

4. 1945〜1960年代:戦後の学制改革が大学の勢力図を変える

1945年、日本は終戦を迎えます。

戦後の教育制度改革によって、日本の大学制度は大きく変わりました。

1949年前後には新制大学が発足し、大学教育の仕組みが再編されます。

青山学院大学も1949年に新制大学として開設され、文学部、商学部、工学部を設置しました。なお、工学部は翌年に関東学院大学へ合同しています。

これにより、現在のMARCH5大学が新制大学という共通の制度の中で発展していく基盤が整いました。

大学進学が一部の人から、より多くの人へ広がった

戦後の高度経済成長は、大学教育にも大きな影響を与えました。

国立社会保障・人口問題研究所の統計によると、大学への進学率は次のように変化しています。

年大学進学率
1955年7.9%
1960年8.1%
1965年12.8%
1970年17.1%
1975年27.1%
1980年26.0%

※大学学部への進学率。短期大学は含みません。公表されている2026年版人口統計資料集による数値です。

わずか20年間で、大学進学率は大きく上昇しました。

大学に進学することが珍しかった時代から、より多くの若者が進学を目指す時代へと変化したのです。

こうした環境の中で、長い歴史を持ち、都市部にキャンパスを構え、さまざまな学部を持つ私立大学の存在感も高まっていったと考えられます。

この時代は、後に「MARCH」と呼ばれる大学群が、戦後の総合大学として成長していく時期だったといえるでしょう。

5. 1960〜70年代:MARCHという言葉の誕生と大学進学ブーム

実は、現在では当たり前のように使われている「MARCH」という呼び名が考案されたのは、この時代です。

先述したように、受験情報に携わっていた代田恭之氏が1960年代に考案したとされています。

しかし、当時から受験生全員がMARCHという名称を使っていたわけではありません。

1990年代以降に普及したとされるため、1960〜70年代の大学受験を経験した世代には、MARCHという言葉をあまり使わなかった人もいるでしょう。

当時は大学全体のグループ名よりも、個別大学や学部の伝統、卒業生の進路などを強く意識していた人も少なくなかったと考えられます。

中央大学は法学部が大きな看板だった

この時代の中央大学について語る際、欠かせないのが法学部です。

中央大学は法律学校を起源とし、法曹界に人材を輩出する伝統を築いてきました。

「法科の中央」「白門」という言葉は、現在も中央大学を象徴する呼び名として知られています。

ただし、「1970年代のMARCHで中央大学が総合1位だった」と断定するには、当時の統一条件による入試難易度や評価資料が必要です。

確実に言えるのは、中央大学の法学教育が、大学全体の評価を考えるうえで重要な存在だったということです。

立教大学は独自の伝統と池袋キャンパスを持っていた

立教大学は1918年に池袋へ移転して以来、都心の特色あるキャンパスを維持してきました。

語学や人文・社会科学の教育を発展させ、戦後には総合大学として教育領域を広げています。

現在の立教大学の評価を考えるうえでも、長年にわたる教育の伝統とキャンパスの個性は重要な要素です。

明治・法政・青学もそれぞれ独自の発展を続けた

明治大学は駿河台を中心に、法学、商学、政治経済学などの伝統を発展させていきました。

法政大学も市ヶ谷を拠点とする総合大学として発展を続け、青山学院大学はキリスト教教育の伝統を引き継ぎながら、文系・理系の教育を拡充していきます。

5大学は同じグループに属していたから発展したのではありません。

それぞれ異なる道を歩み、その後、受験業界において一つの大学群として認識されるようになったのです。

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6. 1978〜1990年代:キャンパス移転がMARCHの姿を変えた

1970年代後半から1990年代にかけては、大学のキャンパス政策が大きく変化した時代です。

学生数の増加、都市部の土地不足、教育施設の充実などを背景に、郊外へキャンパスを移す大学も現れました。

MARCHの中でも、この変化を象徴する大学が中央大学です。

1978年:中央大学が多摩キャンパスへ移転

中央大学は、長年にわたって都心の駿河台を重要な拠点としてきました。

しかし、1978年に多摩キャンパスを開設し、法・経済・商・文学部を中心とする文系学部の教育拠点を移しました。

都心から郊外への移転は、大学の教育環境を大きく変える出来事でした。

広い敷地で学べるという利点がある一方、都心へのアクセスという観点では評価が分かれる可能性もあります。

ただし、移転によって中央大学の偏差値が下がった、と単純に断定することはできません。

当時の受験難易度の変化を検証するには、人口動態、学部構成、競合大学の動向など、ほかの要因も考える必要があります。

それでも、中央大学の歴史を考えるうえで、1978年の多摩移転は最も重要な転換点の一つといえるでしょう。

法政大学も多摩キャンパスを整備

法政大学でも、1980年代に多摩キャンパスの整備が進みました。

1984年には経済学部と社会学部の1年次生が多摩校舎で授業を開始しています。

現在の法政大学は、市ヶ谷・多摩・小金井という複数のキャンパスを持っています。

都心のキャンパスだけでなく、郊外の広い教育環境を活用する方向へ発展したことが特徴です。

青山学院大学も厚木キャンパスを活用

青山学院大学も、1982年に厚木キャンパスを開設しました。

当時は文系学部の1・2年次生が厚木キャンパスで学び、上級学年になると青山キャンパスで学ぶ仕組みが採られていました。

現在の青山学院大学を見ていると、都心の青山キャンパスのイメージが強いかもしれません。

しかし、1980〜90年代に青山学院大学へ通っていた世代にとって、厚木キャンパスは馴染み深い存在だったのです。

キャンパスの場所は大学ブランドに影響するのか?

大学の立地は、通学の利便性や学生生活のイメージと関係します。

しかし、キャンパスが都心にある大学が必ず高く評価されるわけでも、郊外にある大学が必ず不利になるわけでもありません。

学びの内容、研究環境、施設、就職支援、学生の生活スタイルなど、多くの要素が大学選びに関係するからです。

重要なのは、1970〜90年代のMARCHでは、大学ごとに教育拠点のあり方が大きく異なっていたという事実です。

そして、この違いは現代まで続く大学ブランドを考えるうえで、一つの手掛かりになります。

7. 1990年代:MARCHという大学群が広く定着していく

1990年代は、日本の大学受験にとって大きな変化の時代でした。

大学進学率は再び上昇し、受験生は偏差値や大学案内などの情報を参考にしながら志望校を選ぶようになります。

大学の比較やグループ化も、受験指導で重要な役割を果たしていきました。

MARCHという呼び名が高校や予備校で広がったのも、この時期とされています。

しかし、ここには重要な問題があります。

同じ大学群に含まれているからといって、5大学のすべての学部が同じ難易度だったわけではありません。

法律系、経済・商学系、文学系、理系など、学部によって難易度や評価は異なります。

中央大学の法学部、立教大学の主要文系学部、明治大学の実学系学部など、それぞれに強みがありました。

つまり、MARCHというグループ名が普及しても、大学ごとの個性や学部間の違いが消えたわけではなかったのです。

8. 2000年:偏差値で見るMARCHの勢力図

それでは、大学群としてのMARCHが広く認識されるようになった後、実際の入試難易度にはどのような違いがあったのでしょうか。

大学受験うわさ研究所では、2000年の代々木ゼミナールの合格者平均偏差値と、現在の河合塾系偏差値を比較した記事を公開しています。

その2000年の資料では、例えば次のような結果が紹介されています。

分野2000年の注目学部合格者平均偏差値
法学系中央大学 法学部法律学科63.9
法学系立教大学 法学部国際比較法学科62.9
経済系立教大学 経済学部経済学科60.7
文学系立教大学 文学部61.0
理学系立教大学 理学部57.6

※大学受験うわさ研究所の既存記事掲載データから抜粋。各分野で掲載されている上位学部の例であり、大学全体の順位ではありません。

2000年の数値を見ると、中央大学法学部の強さと、立教大学の幅広い学部での難易度の高さが目立ちます。

一方、現在ではMARCH上位として名前が挙がりやすい明治大学も、2000年のすべての分野で最も難易度が高かったわけではありません。

ただし、2000年と現在では偏差値の算出基準が異なります。

過去と現在の偏差値をそのまま引き算して、大学が難化・易化したと判断することはできません。

詳しい学部別比較は、以下の記事で解説しています。

関連記事:昔のMARCH序列は今と違う?2000年と現在の偏差値を比較した意外な結果

ここで注目したいのは、MARCHという一つの大学群の中でも、時代や学部によって相対的な難易度が変化しているということです。

9. 2000〜2020年代:キャンパス再編と新しい大学ブランドの形成

2000年代以降、MARCHの各大学は新学部の設置やキャンパス再編を進めてきました。

この時期の特徴の一つが、都心キャンパスの整備と教育拠点の再構築です。

青山学院大学:2013年に文系学部の4年間青山キャンパス化

青山学院大学では、2003年に相模原キャンパスを開設し、厚木・世田谷キャンパスの教育機能を再編しました。

さらに2013年には、青山キャンパスを本拠とする学部について、入学から卒業まで青山で学べる体制に変更しました。

それまで郊外キャンパスで学んでいた1・2年次生も、青山で学生生活を送れるようになったのです。

青山学院大学の都心キャンパスのイメージを考えるうえで、この変化は重要な出来事です。

ただし、キャンパス再編だけで入試人気の変化を説明できるわけではありません。

中央大学:2023年、法学部が茗荷谷キャンパスへ移転

中央大学でも大きな転換点が訪れます。

2023年、法学部と法学研究科が多摩キャンパスから東京都文京区の茗荷谷キャンパスへ移転しました。

1978年の多摩移転から45年。

中央大学の看板学部である法学部が、再び東京都心を教育拠点とすることになったのです。

これは大学の歴史を振り返るうえでも象徴的な出来事です。

今後、法学部の入試人気や志願者動向がどのように変化していくかは、長期的に注目したいテーマといえるでしょう。

明治・立教・法政も教育の領域を広げ続けている

明治大学は伝統的な法律・商学・政治経済などに加え、国際・情報・学際的な分野を拡充してきました。

立教大学も、人文・社会科学の伝統を保ちながら、新しい学問領域への対応を進めています。

法政大学も、多様な学部と複数キャンパスを持つ総合大学として発展を続けています。

MARCH5大学は、創立期に形成された教育の伝統を維持するだけではなく、時代ごとの社会的な需要に合わせて教育内容を変化させてきたのです。

10. 150年の歴史でMARCHの勢力図はどう変わったのか?

ここまでの歴史を、時代別に整理してみましょう。

時代各大学の主な動き勢力図の特徴
1874〜1885年5大学の前身となる学校が誕生法律教育系とキリスト教教育系で出発点が異なる
1920年代4大学が大学令による旧制大学へ高等教育機関として制度的基盤を確立
1949〜60年代新制大学への移行と総合大学化学部・教育領域の拡大
1970〜80年代大学進学の拡大、郊外キャンパス整備教育環境と立地戦略が多様化
1990年代MARCHの呼称が普及5大学が大学群として比較されるようになる
2000年代学部再編・教育領域の拡大学部ごとの特色と難易度の違いが続く
2010〜20年代青学のキャンパス再配置、中央法学部の都心移転など新しい教育環境とブランド形成

この150年の変化を見てわかるのは、MARCHの勢力図は決して一つの指標で説明できないということです。

歴史的な地位という観点

戦前から旧制大学として発展してきた4大学には、長い高等教育の伝統があります。

一方、青山学院にも1874年から続く学校としての歴史があり、新制大学としての出発が遅いことだけで教育的伝統を評価することはできません。

専門分野の伝統という観点

中央大学は法学教育、明治大学は法律・商学などの実学教育、法政大学は法律教育と自由を重んじる学風、立教大学は英語・人文・商学、青山学院大学はキリスト教・語学教育など、それぞれ異なる伝統を形成してきました。

大学ブランドという観点

大学のブランドは、創立年や偏差値だけで決まるものではありません。

卒業生の活躍、教育研究の実績、立地、学生生活、メディアでの認知度など、さまざまな要素が関係します。

しかも、それらの重みは時代によって異なります。

入試難易度という観点

2000年の偏差値資料からもわかるように、同じMARCHでも学部ごとに難易度は異なります。

「昔は中央大学が一番」「現在は明治大学が一番」といった一言では、5大学の実態を十分に説明できません。

どの時代に、どの分野で、どの大学が強い存在感を持っていたのか。そこを分けて考えることが、MARCHの歴史を理解するうえで重要なのです。

11. MARCHは今後も同じ大学群として残るのか?

近年は、MARCHに学習院大学を加えた「GMARCH」や、上智大学・明治大学・青山学院大学・立教大学・東京理科大学をまとめた「SMART」など、別の大学群も使われています。

しかし、これらの名称は大学の公式な格付けではありません。

受験情報を整理するための便宜的なグループ名です。

そもそもMARCHという呼び名も、大学が同盟を結んで生まれたものではなく、受験情報をわかりやすく伝えるために考案されたものでした。

そう考えると、今後も大学群の呼び名や評価が変化する可能性は十分にあります。

ただし、大学群の名称が変わっても、150年にわたって各大学が築いてきた教育の伝統や卒業生のつながりが消えるわけではありません。

大学の価値は、その時代の偏差値や大学群の呼称だけで決まるものではないのです。

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12. まとめ:MARCHの歴史は日本の大学教育の歴史でもある

MARCH5大学は、いずれも明治時代にルーツを持つ長い歴史のある大学です。

しかし、その成り立ちは大きく異なります。

  • 明治大学:フランス法を源流とする法律教育から、商学・政治経済など幅広い実学教育へ発展。
  • 青山学院大学:キリスト教教育と女子教育を源流とし、戦後に総合大学として発展。
  • 立教大学:築地の英学塾から始まり、文学・商学などを中心に総合大学へ発展。
  • 中央大学:イギリス法の教育から出発し、法学教育の強い伝統を築いた大学。
  • 法政大学:明治期の法律教育と自由を重んじる精神を受け継ぎ、総合大学へ発展。

それぞれの大学が社会の変化に対応し、独自の教育とブランドを築いてきた結果、今日のMARCHという大学群が形成されました。

興味深いのは、大学群として一括りにされながらも、それぞれの大学の歴史や得意分野が今も異なっていることです。

現在の偏差値や志願者数だけを見ていると、こうした背景はなかなか見えてきません。

150年の歴史をたどることで、大学の評価が時代とともに変わる理由も、少し違った角度から見えてくるのではないでしょうか。

そして最後に、読者の皆さんにお聞きしたいことがあります。

皆さんが大学受験をした頃、MARCHの中で最も評価が高かったのはどの大学でしたか?

中央大学の法学部でしょうか。立教大学でしょうか。それとも明治大学や青山学院大学、法政大学でしょうか。

大学を受験した年代や、当時の印象も含めて、ぜひコメントで教えてください。

同じMARCHでも、世代によって見え方は大きく異なるかもしれません。

それこそが、大学の歴史を振り返る面白さなのです。

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10年後のMARCHで最も躍進する大学はどこか。明治大学、青山学院大学、立教大学、中央大学、法政大学について、理工系・AI・データサイエンス教育、学部再編、キャンパス立地、就職力、女子の理系進学などから2036年の姿を予測します。法学部の都心移転と理工系3学部への再編を進める中央大学を筆頭に、環境学部を設置した立教大学、情報・理系に強い法政大学など、各校の将来性と課題を詳しく解説します。

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この記事を書いた人

私は、新卒から約20年大手大学受験予備校の職員として働いておりました。現役生や浪人生、国公立医学部を受験する生徒から私立文系を受験する生徒まで、数千名の生徒と向き合ってきました。受験校の相談や学習方法の相談、受験勉強の息抜きなどさまざまな相談、時には生徒から教えてもらうことも。今までの経験を少しでも受験生に役立つ情報をお届けできたらと思っています。

出典・参考資料一覧

記事の主要な史実は、各大学の公式沿革を中心に確認しました。

大学公式資料

  1. 明治大学「明治大学の歴史(年表)」 — 創立、学部設置、旧制大学認可など。明治大学
  2. 青山学院「青山学院の歩み」 — 学院創立、戦後の新制大学発足。青山学院
  3. 立教大学「立教大学の歴史・沿革」 — 立教学校の創立、池袋移転、1922年の旧制大学認可。立教大学
  4. 中央大学「中央大学のあゆみ」 — 英吉利法律学校、多摩移転、茗荷谷移転。中央大学
  5. 法政大学「法政大学略年表」 — 東京法学社、ボアソナード、旧制大学認可。法政大学

社会情勢・大学群に関する資料

  1. 朝日新聞Thinkキャンパス「大学グループの通称はいつ・どうやって作られた?」 — MARCHの命名者と普及時期。朝日新聞Thinkキャンパス
  2. 国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集2026」 — 1950〜2025年の大学進学率。IPSS
  3. 青山学院「写真に見る青山学院150年」 — 厚木・相模原・青山キャンパスの再編。青山学院
  4. 法政大学後援会「1977〜86年活動年表」 — 多摩キャンパス整備に関する記録。法政大学後援会

関連記事・内部リンク

大学受験うわさ研究所「昔のMARCH序列は今と違う?2000年と現在の偏差値を比較した意外な結果」

2000年の入試難易度については、この既存記事を参照する構成にしています。1970〜90年代の偏差値による序列は、現段階では原資料による検証が不足しているため、今回の本文では断定していません。

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